御殿 仙巌園は、万治元年(1658年)年に島津家19代光久によって、島津家の別邸として築かれました。御殿は、29代忠義の代には一時本邸として、また国内外の要人を招く「迎賓館」としての役割も果たしました。邸内の美しい装飾、建物から望む桜島の絶景をお楽しみください。 御殿の最終入場は16:50です施設メンテナンスのため臨時休場している場合がございます。荒天の場合、雨戸を閉めて営業することがございます。 御殿の見所 薩摩の迎賓館 仙巌園は「迎賓館」として使われました。幕末には篤姫や幕臣の勝海舟、維新後もロシア皇帝ニコライ2世、英国国王エドワード8世が皇太子時代に訪れています。 薩摩焼 薩摩焼は、16世紀末に朝鮮から渡来した陶工によって始められた、鹿児島を代表する工芸品です。豪華絢爛な「近代薩摩焼」は、斉彬の代に誕生しました。 謁見の間 謁見の間は、来客への応接に使用された部屋です。二間続きで、廊下も畳敷きであることから、一度にたくさんの人と会うことができました。 御居間 忠義が一日の大半を過ごした部屋で、書類の決裁を行ったり昼食をとっていました。庭園全体を最も美しく見られる部屋です。 御寝所(寝室) 忠義の寝室。この部屋の床下には、もみ殻が敷き詰められた層が設けられており、それが断熱材の効果を果たしていました。 御湯殿(お風呂) 当主専用の浴室。当時は、別の場所でお湯を沸かし、それを運んできていました。 中庭 池をのぞむ中庭。池の中には八角形のくぼみがあり、中国文化(風水)の影響を感じることができます。 釘隠 釘を隠すための飾り。邸内に11種類あり、薩摩焼で「桜島大根」がデザインされたものや、幸福の使者と考えられたコウモリの姿のものもあります。 忠重の部屋 30代忠重が12歳まで過ごした部屋。忠重は父・忠義の死にともない家督を継ぎ、公爵となりました。後に海軍に進み、海軍大学校教官、英国大使館付武官を勤めました。 鹿児島 世界文化遺産オリエンテーションセンター 令和元年(2019)11月に新たに誕生しました。ガラス張りの窓からは、反射炉跡が一望でき、薩摩の近代化ストーリーを楽しく学ぶことができます。斉彬の思いや反射炉の構造、世界遺産登録の流れを分かりやすく紹介します。仙巌園の新たな一面を発見できること間違いなし。落ち着いた空間で学びを深め、斉彬が私たちに遺したメッセージを感じてください。 詳しくみる →